「置かれた場所で咲きなさい」 渡辺和子著

恵まれた人 

著者の渡辺和子氏は昨年2016年の年末に亡くなりました。

そのニュースを見た時にこの著作を読みたくなりました。

それは「2・26事件で殺害された将校の娘」という文字がニュースの見出しにあったからです。

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実はこの著作は書店で何回も平積みになっているのを見ていましたが、その度に手にとっては戻すということを繰り返していた本でした。

気にはなっていた、しかし読むのに踏み出せなかった本です。

なぜか。

それは「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルに対して「果たして本当にそんなことができるのか?」という思いを抱いていたからです。

 

「この著者は若くして大学の学長になっている。人脈に恵まれていたか名家の出だからではないか」

「みんながみんな、出自や状況や環境に恵まれているわけではない」

「現に自分の働いている環境はイマイチで気が滅入るし上司は理不尽だ」

「自分の置かれた場所で才能の花を咲かせることができるのは限られた人ではないか」

「それなのにみんなが花を咲かせることを勧めているこの本は、恵まれてきた著者の上から目線や現実離れな視点で語られているのではないか」

 

読了した今となっては、そんな狭い了見と先入観で判断して読んでいなかった自分を恥ずかしく感じるばかりです。

しかし、その当時は自分の置かれた職場の環境の恵まれなさ、上司の能力のなさと責任の取らなさ、白だと言われていたものが何食わぬ顔で黒に変えてくる理不尽さに義憤を感じていました。どうしようもできない大きな流れの中にいる自分、転職しようとして動いてもうまくいかない、といったことによって自信もなくなり感情が溺れかけていた状態でした。新しいものを受け入れる余裕がなかったのかもしれません。

その後、少しずつ気持ちが上向いてきた中で後述する悲しい出来事ががあり、また気持ちが沈み始めたところへの著者の訃報と「2・26事件で殺害された将校の娘」という見出しはインパクトがありました。勝手に恵まれていたと思っていた著者が実は違っていたのではないかと考え、本書を読み始めるきっかけになったのです。

 

40代で鬱になった人

順風満帆に見えた著者の人生は実は平坦なものではありませんでした。

幼少時代は幸せに暮らしていましたが、2.26事件のクーデターにより9歳で目の前で父親を斬り殺されるのを目撃してしまいます。彼女は父親がとっさに隠したのでことなきを得ました。

生き残った者ゆえの複雑な思いがあったのは想像に難くありません。

しかし、著者は父の愛情の最たるものを感じたと記すに留めています。

この強さ。

詳しくは語られていませんが、父親の死後の生活の苦労はいかほどだったでしょう。父親の死が直接関係しているかはわかりませんが、大学在学中にキリスト教洗礼を受けます。

そして、教会からの指令でわけもわからず20代にアメリカに留学し、博士号を取得します。慣れない現地での生活、派遣されているというプレッシャー。

その中で触れる人々の暖かさに救われます。

30代で帰国命令が出て戻ると、いきなり大学学長への任命が待っていました。辞退しても避けられません。他の年上の教員達のやっかみや妬みは相当なものだったようで、廊下ですれ違っても挨拶もされない日々が続きます。

そして、責任、孤立、重圧によってとうとう40代に鬱病を患ってしまいます。

数年間、動くに動けない状態が続きました。

しかし、すべては自分の視点をずらすことで解決したり、困難に感じているものを和らげたりできること、敵対ではなく微笑みと友愛が育むもの、自分を強く持つことについて気づいたこと、これらはこの鬱病があってのことだと言います。

 

命の灯火が消えた人

文中では様々な学生との交流が描かれます。

総じて敬虔なクリスチャンで利発な女子学生に恵まれている様子も描かれていますが、良いことや楽しいことばかりではありません。

中には思い悩んだ末に自殺をしてしまう学生もいました。

その時に著者はショックを受け、落ち込みます。

そして彼女が生きられなかった分まで生きて人生を謳歌し、周りと交わっていこうと他の学生達に呼びかけます。

 

個人的な話ですが、このくだりで私はとても救われました。

実は私も昨年末12月に関わりのあった若者が突然自殺するという事態に遭いました。

彼と会話をするのは年に2回くらいだったのですが、読むと良い本、見ると良い映画について教えて欲しいというのに対して、感動した作品について話をしたりしました。話が弾むとおとなしめの彼が少し元気になって帰っていきました。

最後に会ったのは自殺する2ヶ月半前で、その時は不眠とモチベーションの上がらなさを訴えていました。いつもの「どんな本や映画を読んだり見たりしたらいいでしょうか?」という質問があったかどうかは、実はよく覚えていません。

ただ、私は「そんなに焦らなくていいよ」と答えた記憶はあります。彼の状況を慮って出た言葉ですが、彼がどう受け取ったのかはわかりません。

自殺する直前に会うことはなかったので、その兆候はわかりませんでした。それは他の人達も同じでまったくわかりませんでした。

 

でも、もしかしたら彼が何かのSOSを発していたのではないか。

あの時に何か本や映画を勧めていれば違う結果になったのではないか。

 

考えまいとしても、年末に折りに触れてそういう風な考えにとらわれてしまう時間がありました。そんな自分にとって、本書の言葉はひとつの道筋を示してくれたように感じます。

 

不自由な身体を持った人 

晩年の著者は身体の不調を抱えながら懸命に仕事を続けます。

老いを避けることはできません。

歩く速度が遅くなって、背中が痛くなって他人に迷惑をかけていることがわかっているけど、懸命に日々の仕事をこなし、働きます。

周りの人に助けられながら、微笑みを絶やさずに。

それは自分の信念に従って生きるためで、人と交わって影響を与えたり与えられたりして命を全うするためです。

ものすごいエネルギーです。

 

自分が苦しんだら、その分だけ人の苦しみがわかる人間になれる。優しくなれる。

人生は完璧で恵まれた環境ばかりに身を置くわけではない。

しかし、笑顔を持って視点を変えながら応じると、その場所でできることをやって進むことができる。

咲くことができる。

 

著者は本書だけでなくその身を持って生きながら、このことを周りに伝えて行ったのでしょう。

 

つつしんで渡辺和子氏のご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

第1章:自分自身に語りかける
第2章:明日に向って生きる
第3章:美しく老いる
第4章:愛するという事