「そういうものだろ、仕事っていうのは」 重松 清, 野中 柊 , 石田 衣良, 大崎 善生, その他著

複数の作家の仕事にまつわる短編集です。重松清石田衣良というそうそうたる面々。

出版されたのは2011年の2月。いずれの作家も油の乗っている時期です。東日本大震災の直前でもあります。
銀行員のうつ病の描写が緻密な盛田隆二の「きみがつらいのは、まだあきらめていないから」。

そこそこの日常から休みを取ってやってきた沖縄のゲストで出会う面々から仕事の意味を捉え直す石田衣良「ハート・オブ・ゴールド」。

OLの視点から会社の日常を切り取って標本のように見せる津村記久子の「職場の作法」。


仕事にまつわる印象的な作品群の中でもっとも地に足が着いた状態で話をつむいでいるのが 一番最初の重松清の著作「ホームにて、蕎麦。」です。

本書のタイトルの「仕事ってそういうものだろ」はこの一番最初の重松清の著作の中の台詞から取られています。

(以下、あらすじです)

建設会社の土木から営業畑を歩んできた主人公の父親は60歳の定年を迎えて突然立ち食い蕎麦屋のチェーン店でアルバイトとして働きはじめることを宣言する。そのまま嘱託として勤める選択肢があるにも関わらず立ち食い蕎麦チェーン店に勤めたいと押し切る父親に困惑する家族。
それから5年経過して元気に着実に勤めつづける父。一方、主人公である息子は人生の斜陽期に入っていた。
マンションを買った地域は不景気の関係から開発が打ち切られ、荒廃してきている。
会社では有能な後輩が上司になる。焦燥感から仕事を抱えて休日出勤を重ねる。
バブル世代最後の就職組として負けが確定している同世代。
子供は中学受験が失敗してノビノビしていない。
折しも父の勤務先が息子の最寄り駅の立ち食い蕎麦チェーン店に変わった。
複雑な思いで受け止める息子。なぜならばそこの宅地開発の営業を担当したのは当の父親だったからだ。
屈託なく「蕎麦を食べに来い」という父に仕事の忙しさを理由に行かない息子。
ある日、父親のことらしき人物について記された新聞記事を目にして、初めて息子はその店に足を向けるのだった。

 

出世競争に敗れた中年期の男、中学受験に失敗した息子と他の重松清の作品にも登場する要素が盛り込まれた上に、男と仕事、男と家族、父親と息子の関係を引いた視線で丹念に描かれています。
最後に少しの問いを残しながら終わることで独特の読後感を残します。
それは例えるならば風邪で寝込んでしまい、予定もやらなくてはいかなかったこともすべて吹っ飛んでしまった布団の中での中で感じるある種のけだるさと 達観とでもいうような感慨に近いのではないでしょうか。。
人生は続いて行くことはわかっていて、状況は一見具体的なものは何も変わっていないのですが、心持ちが変わることによって重かったものが軽くなるという感覚。
誰にも起こりえる心の動きを巧みに読者に抱かせる。そんなお話です。